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CEOの履歴書|理科と物理が大好きだった少年が起業するまで。

浅海さんって一体何者なんですか?!
『超個人的な悩みを解決するため』不動産テック事業を始たホントのワケ
コラビットの創業経緯と『HowMa』の着眼についてはお伺いしました!
しかし、それ以前の浅海さんの経歴については謎のまま。
このあたりで浅海さんを丸裸にしたい!という思惑のもと突撃インタビューさせていただきました!!

理科、物理が大好きだった浅海少年。

-浅海さんの幼少期から経営者になられるまでについてお聞きしたいです!

そう言えば話してなかったよね。(笑)

-今日は丸裸にさせていただきます!

怖い。(笑)

-浅海さんの幼少期ってどんなお子さんやったんですか?

幼少期は人見知りでしたね。

-そうなんですね!意外ですね。(笑)

あとは孤独耐性が強い子どもでした。

-孤独耐性ですか???

これ笑い話になっているんですが、高校1年の時にクラスでハブられていたらしいんですが、
全く気づかず高校3年の時に言われて初めて気づくということがありました。(笑)

-それ書いても良いんですかね…(笑)

大丈夫でしょう。(笑)

-「何事にも屈しない方=浅海さん」ということで進めましょう!
成績とかはよかったんですか?

そうですね。自分で言うのもなんなんですが、成績は良い方でしたね。
授業で聞いたことだけ勉強して、学習塾も行ったことがなかったです。
近所に住むおばさんにわからないことを教えてもらったりはしていましたが。(笑)

-近所のおばさんに!それはいつ頃のお話ですか?

小中学校生の時ですね!

-特異な科目、好きな科目はなんだったんですか?

理科、物理が大好きでした。

-大好きだったんですね!

はい、大好きでした。(笑)
小中学校では理科の教科書をずっと読んでいましたね。
新学期になって教科書が配られると、1ヶ月もしないうちに読み終わってるくらいで。(笑)

-すごい。(笑)

高校の時も物理は満点以外はとったことが無いんじゃないでしょうか。
ケアレスミスが1個あったりはあったかも。(笑)

-なぜ物理がお好きだったんですか?

うーん。
カッコよく言うと、世の中の真理に近いものを勉強している感覚があったからでしょうか。
自然の摂理みたいな。

-一番これはすごい!と思ったこととかってどんなことなんですか?

人工衛星がずっと飛んでいられる話ですね。
人工衛星ってエネルギーを使っていないので、ずっと飛んでいられるんですよね。
これを知ったときは、人生で一番と言っていいくらい「なるほど!!!!!」と思いましたね。(笑)

-初めて知りました。(笑)ありがとうございます。
大学は物理学部に行かれたんですか?

いえ、そこは経営学部に。(笑)

-なんと!

物理学部と経営学部を同時に受けまして。
合格した大学と学部の偏差値を見比べて高かったのが経営学部だったんですね。

それで経営学部に行こうと思いました。
今考えると、仮に物理学部に進んでいたら経営者していないかも。(笑)

<まとめ>
・理科と物理が好きで、新学期になって教科書が配られると1ヶ月も経たないうちに読破。
・世の中の真理を知りたい!

多感な時期を経てエンジニアに。

-(笑)
もともと経営学部にも興味をお持ちだったんですか?

祖父も父も経営者で、社会に出る=経営をするというイメージが幼少期の頃からありました。
ものすごい浅い考えでしたが。(笑)

-大好きな物理で食べていくんだ!とはならなかったんですね。

当時の自分は物理学部だと大学を卒業すると学者とか教授になるイメージしかなかったんですよね。
それはタイプ的に違うかなーと思っていました。
好きだけど、将来食っていけるかなと。漠然とでしたけどね。(笑)

-大学時代はどんな学生だったんですか?

高校の頃から好きだった単車に乗ってツーリングしているか、
ファミレスで友達と話しているか、ツーリングサークルの部室で遊んでいるかのどれかでした。

今もあるのかな?
東京理科大学のカントリーツーリングクラブ通称CTCというサークルに入っていまして。
ツーリングサークルでなんですが、その中でも周りがバイク大好きなメンバーが多くて。
僕はその中で一番単車熱はなく、でもイベントなどの参加率はめっちゃ高いみたいなメンバーでしたね。(笑)

-バイクお好きやったんですね!

父がバイクのパーツを作っている会社をやっていたことがきっかけだったと思います。

-なるほど!

話の続きですが、4回生になって単位が全然足りていないことに気づき、焦りました。
月曜〜土曜まで授業を入れて卒業をちゃんとしようとようやく動き出しました。

-(笑)
就職の時期かと思いますが、就活はされていなかったんですか?

就職は興味なかったんです。
なので、一切就活せず。
もちろん周りの友人は3回生くらいから始めていました。
で、4回生のGW明けくらいから友人との会話がだんだん就活の話になっていく。
どこから内定をもらった?とか、どこの会社に決めたとか。

-まぁそうなりますよね。

当然、僕にも「決まったの?」と話が回ってくる。
もちろん就活をしていなかったので、答えられない。

-確かに…
就職に興味を持っていなかったというのはなんでだったんですか?

うーん、今考えると笑い話なんですが…
大学を卒業したら人生終わり!と思っていたんですよね。(笑)
学生の時って自由じゃないですか?
なので、考えないようにしていたし、考えるのがめんどくさいという感じ。
遅すぎる思春期みたいなものが僕の中で到来していた時期でした。

-なるほど、おもしろいですね。(笑)

ただ、そんなことも言ってられないので就活に踏み切ります。(笑)
でも就職することを目的としていたので、正直どこでもよかった。
結果的に1社だけ応募してその会社から内定をいただけたので就活終了!と。

-それはそれですごいですけどね。

いやぁ今思うとホントになめた学生でしたね。。。
当時の自分が面接にきたら、僕は「帰れ!と言うと思います。(笑)
「適当なこと言ってんじゃねぇ!と。
なので、今の学生の方ってホントすごいと思いますよ。。。
ものすごく意識高くて、優秀で。
インターン募集で面接とかさせてもらいますけど、すごいなぁと毎回思います。

-今の学生さん優秀な方多いですよね…わかります…

<まとめ>
・経営者一族で、起業をすることが社会に出ることだと思っていた。
・周りに流されず、自分の信念を持って突き進んでいく
・バイク好き?!

猛烈に働いて気づいた自分の仕事観。

-就職されたのはどんな業界の会社だったんですか?

IT業界に就職しました。
独立系のシステムインテグレーターですね。

-IT業界を選ばれたのは理由があったんですか?

大学の卒業研究で、原子力発電所の監視シミュレータを作っていたんですよ。
その時にプログラミングをする機会があって楽しいなと。
僕これ嫌いじゃ無いなぁと思ったんですよね。
それでIT業界を目指したという感じです。

-起業は考えなかったんですか?

ゆくゆく起業はしようとは決めていましたが、
何をするかは決まっていない状態でしたので就職を選びました。
なので、面接の中でも将来は起業しますと返答しました。

-なるほど。何で起業をするかを考えるための就職ということだったんですね。
どんな業務をされていたんですか?

エンジニア部門に配属されて、2〜3ヶ月くらい研修を受けて即現場にという感じでした。
金融系の大規模案件にアサインされて、詳細設計と開発・実装を担当していましたね。
当時はITバブル全盛期で、人手不足真っ盛りだったんです。
なので残業もすごかった。(笑)
言えないくらい働いてました。。。

-当時のIT業界って凄そうですね…

すごかったですね、今考えると。(笑)

-何年お勤めになられたんですか?

3年在籍しました。

-何で起業をするかが決まった時ですか?

いえ、実は違いまして。(笑)
次に何をするかは決まっていない中、退職しました。
石の上にも三年経ったので、よし辞めようと。

-退職しようと思った理由を教えてください!

退職した理由は、仕事に対して疑問を感じたからですね。
我々の会社は商流的にも詳細設計以降の案件が多かったんですよね。
上にまだベンダーがいてという構図で。
で、その設計書を見て開発を進めていくのですがユーザーのためになる仕様になっていないことが多いように見えたんです。
開発をしていく中で、ユーザーと話をすることが多かったんですが、
ユーザーが描いている仕様と実際の設計書に乖離がありすぎていて。
でもそれをユーザーと我々の間に入っているベンダーに提言することはできない。
設計書を一からやり直すことは莫大なコストがかかりますので。

生意気かもしれませんが、こんなシステムを使って誰が喜ぶねんと思っていましたね。
それが一番の不満でした。

-そんなにギャップがあったんですね。

かなり大きかったですね。
誰かのためになっているシステムではもはやなかった気がします。
それが一番の苦痛で。
誰かのためになるものを作りたい。
それは僕の中で一番大きなことでした。

-大事なことですよね。
辞めてからは何を?

次やることも決めずに辞めたので、どうしようかなと。(笑)
幸いなことに、ユーザーの間に入っていたベンダーさんから、
今思うと破格の金額で直接契約をしたいというご提案もいただきまして。

-すごいですね…。
お受けされたんですか?

いえ、お断りしました。
ベンダーさんからお仕事をいただいても、退職を決めた理由が払拭されるわけではなかったので、
ユーザーにとって必要なものを作りたいという気持ちが強くお断りしました。

-信念を貫かれたわけですね。

で、ここからニート生活に突入します。(笑)
でもこの時の経験はかなり大きくて。

-と、言いますと?

当たり前ですが、仕事がこないわけですよ。
就職していたときは、勝手に案件がくるのでこんなにも仕事ってこないのかと愕然としまして。
その時になって初めて、営業の価値に気づきました。
彼らってすごい価値がある仕事をしていたんだなぁと。
仕事をとってくるという難しさを痛感したので余計ですね。

-なるほど。

で、仕事が来ないものですから貯金が尽きかけて実家に帰りました。
地元の友人もちょうど同じ時期に不動産営業を辞めて地元に戻ってきていて。
二人ともやることがなくて、一緒にモンスターハンターやってましたね。(笑)

-(笑)

で、ある時にその友人からITについて教えてくれよって何気なく言われて。
僕の知ってる限りのIT知識をレクチャーすることにしました。

一方で、僕は不動産業界の営業についていろいろと話を聞いて。
どうやら友人も僕と同じような理由で会社を辞めてきていたんですよ。
お客様に嘘をついてでも数字を稼いでこいというスタンスに嫌気がさしたらしく。

以前、この記事で話したのですが、
不動産業界の方が怖いというのはこの時に聞いた話が潜在的に残っていたんだと今になって思います。

*参考記事:『『超個人的な悩みを解決するため』不動産テック事業を始たホントのワケ』

-なるほど、ご友人から不動産業界のお話をお聞きになっていたんですね!

今思うとですね。(笑)

-その後不動産業界に飛び込まれることになるのですが、そのご友人の方はどうなられたんですか?

その友人はインフラエンジニアになって国関係の案件やっていますよ。(笑)

-すごい、まさかの逆転現象。(笑)

すごいですよね。人生に何があるかわからない。(笑)

<まとめ>
・プログラミングが楽しくて、IT業界に就職
・「石の上にも3年」と通説を守る
・顧客から直接契約をしたいと言われる実力と愛されキャラクターが武器
・「本当に誰かのためになる仕事」をしたい
・営業、開発とそれぞれの存在意義と会社の仕組みを知る

やって気づく。経営者としての学び日記。

-起業をしたのはいつなんですか?

そうこうしている時に、ちゃんと働かないとと思いまして。
いろいろ事業になりそうなことを考えるわけですよ。
ある時、知り合いの方からお葬式屋さん向けのシステムを作りたいと話をいただきました。

聞いてみると、知り合いのお客様がお葬式屋さんを営まれていて、彼らに対してBuilt to order systemを作って営業したいんだと。
いわゆるオンライン発注できるシステムが来ると思うんだよと力説されてサイトを作ることにしました。

-おもしろいですね。そんなニーズが出てくる頃だったんですね。

でも、お葬式を探す方のカスタマージャーニーがわからないので知り合いに聞くわけですよ。
どんなニーズで情報を検索して、どんな情報があればユーザーにとって最適な価値を提供できるのかと。

すると、その知り合いはお葬式に関することはほぼ知らない状態で。(笑)
どうやら提携先の病院からの依頼が重要だという回にたどり着くまでにかなりの時間を要しました。

結果的に、ユーザーのことがわからなさすぎてどう作っていいかわからずやめました。
1CVもなくですね。

当たり前なんですがこの時に、
「自分がわからないことや自分事にならないようなことはやっちゃダメだな」と心に刻みました。

-ここでも新たな気づきを得られて。

はい。
で、ちょこちょことWeb制作の案件依頼をいただくことが増えてきて。
コーポレートサイトの制作と運用、メンテナンスが主な依頼内容で。

これがゆくゆく事業になるんです。

-ほぉ!

顧客からこれをやってほしいとかこれを変えてほしいとかいろいろとオーダーが来るようになりまして。
で、Webのことを知らない方でも簡単に運用、メンテナンスができるようにCMSを作りました。
システムインテグレーターにいる時はアプリ側をメインで担当していたので、
インフラ周りのことはほぼわかりませんでした。

なので、一年越しでそのサービスを完成させて。

そこからは担当者の方から全くお問い合わせがこなくなって、これはいけるかもしれないと思いました。

-顧客のニーズに合ったサービスだったんでしょうね!

で、広げようと思ってやったことがない営業をすることにしました。
今だと、マーケティングでランディングページ作ったり、広告を回したりして、
問合せフォームにつなげて非対面でコンバージョンを狙うことが主流になっていますが、
会わないと受注ができないと思っていたのでマーケティングやダイレクトメール、営業についての本を読みまくって。

すると、始めて3ヶ月後に初めて1CVがありました。

-うおーーーーーーーーーーーーー!

ものすごい嬉しかったですね。(笑)
たかが1CVでしたが、ものすごく嬉しかった。

すぐに顧客先に行って打ち合わせをさせていただきました。
サイト制作、ライティング、テストまで全て一人でやって。
導入支援後のサポートも無料でやりました。

-嬉しいですね…!そしてサポートは無料という。(笑)
この時はオフィス借りられていたんですか?

いえ、父親の工場のの端っこに物置のような部屋があって間借りさせてもらっていました。(笑)
父親としてはそのまま経営を手伝って欲しかったと思うのですが、
起業するのでちょっと部屋を貸してほしいと頼みまして。
ある意味、失敗したら手伝わないといけないのでこれがラストチャンスだと思ってやってましたね。

-間借りされていたんですね!

夏は45度くらいの熱風が当たり、冬は寒気が当たって外よりも寒いんじゃないかと思うようなところで。(笑)
ここで身につけたことは「環境に文句を言わない適応能力」ですね。(笑)

<まとめ>
・自分がわからないことや自分事にならないようなこと事業はやらない。
・どんな人でもできる状態を作ることが事業である。
・環境に文句を言わずにできることを最大限することが大切。

続く。

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