CPO対談vol2|ヤフーでの経験って今のCPOにどう生きてますか?!

勝手ながら「スペシャル対談」と称し、様々な角度からコズレ取締役の小川さんとCPOについてお話をしていくこの企画。
CPO(Chief Product Officer)としての役割や意義についてお伺いさせていただくシリーズ第二弾!
今回は「ヤフーでの経験がどう生きているか?」について伺いました!
聞き手:株式会社FanReC 濱田
-どうもです。
今回は、「ヤフーでの経験がどう生きていますか?」でお願いします!
まずなんですが、それぞれヤフーでどんなことをされていたのか教えていただけますか?
小川さん
僕は2011年に入社して2017年までいたので約7年ほど在籍していました。
ヤフーウォレット(現:PayPay)など決済サービス全般の企画や開発に関わるシステム企画職で入社しました。
主にヤフーウォレットで決済できるデジタルコンテンツを増やす仕事を担当していて、
やっていくうちに決済サービスの企画/開発/拡販を進めるのはいいんですけど、
決済だけの知識だとクライアントとユーザーの両方の課題の理解が十分にできず、
すごい部分的な提案や企画、サービス改善になってしまうなと思いはじめて。
なので、決済だけではなく「Yahoo! Japan ID」にも担当領域を広げ、
クライアントのビジネス成長、ユーザーのインサイトに合わせたサービスに成長させたいと上司にお願いに行きました。
結果、IDの方も兼務させてもらうことに。
IDはヤフーのみならずソフトバンクグループにも横断的に関わる、ビジネスの根幹となる領域でした。
結果的に全部の部署と関わることになりましたね。
デジタルコンテンツ系の部署、ショッピング、オークション、広告などなど。
そこで、様々なサービスのシステムや仕組み、ビジネスモデルなどに触れることができました。
決済とはお金を生み出すまでのフローそのものであり、ビジネスの本質的な部分だと気づきました。
この経験は非常に大きかったと、今改めて思っています。
大きなサービス同士の連携の現場に立ち会うこともできました。
例えば、ソフトバンク携帯電話番号とYahoo! JAPAN IDを連携するプロジェクトだったり、
CCC社とのポイント統合プロジェクトだったりです。
サービスとサービスを統合する時の利害関係の調整の難しさを目の当たりにして。
ものすごく激しい交渉が毎度毎度繰り広げられていましたね。
各社のビジネスへの考え方やIDなどデータ基盤をどうビジネスにしていこうと思っているのかなど、
商売の根幹を知れたと今になって思います。
これも非常に大きな経験となりました。
さらにはヤフーショッピング部署に異動し、
小澤 隆生さんが「Eコマース革命」と題して立ち上げた無料化革命に参画したり、
ヤフートラベルでも同じことをしたり。
最後は旅行、飲食部署で「一休」を買収して、システム基盤統合のプロジェクトに参画して。
とにかく、視座を上げていただいた。そういった機会をいただけた。
そんな感じです。
曽根ちゃん
僕は2012年に新卒で入社してから、2017年まで在籍していました。
最初に配属されたのはメディアサービスカンパニーというところで、
主には「不動産サービス」に関わりました。
賃貸情報をメディアサービスとして提供している部署で、サービスの開発を主に担当していました。
そして、2年目にはもともと好きだった音楽に関わりたいという思いから、
チケッティングサービスを立ち上げる社内公募に応募しました。
「音楽×チケット」だとやはり転売のことが大きな問題となっていて。
音楽好きの一ユーザーとしてこの問題をクリアにすべく、チケットの電子化をしていきたいと思ってました。
ただ、思った以上にこの公募に手をあげた人が少なくて。(笑)
結果蓋を開けてみると、僕だけでした。(笑)
エイベックス社と共同で進めていくプロジェクトでしたが、
新規のサービス開発に2年目から携われて、web開発の経験もそこそこに、
たった一人でインフラ周りや保守運用などシステムに関する全てのことをやりました。
ものすごく大変でしたが、この時に自分を苦しめた経験が今かなり生きているので挑戦してよかったです。
音楽イベントやフェスなどの現場で集客をしたり、客引きなどもやりましたね。
あと思い出に残っているのは、
フェスに来ていたユーザーさんに写真撮ってくださいと言われて撮影差し上げたり。(笑)
その後は、USJとのシステム連携をリードしたり、オフショア開発を担当したりもしました。
かいつまんでいろいろなことを経験できて、貴重な機会となりました。
『どんな経験が今でも生きてますか?!』
-かなりいろいろな部署やサービスに関わる機会があるんですね。
ローテーションももちろんあるのでしょうが、手をあげたり提案したりすると通りやすいと言いますか。
小川さん
なんでもできるよね。
公募制度もちゃんと機能していて、声が通りやすい。
そんな環境に慣れちゃっていたので、
ヤフーを辞めてから、凄まじく素晴らしい会社だったんだ!と気づきました。(笑)
曽根ちゃん
そうですよね、あんまりないと思いますね。
2年目であれだけ裁量を持って挑戦させてもらえるってなかなかないと思いますね。
-他にヤフーを辞めて感じたことがあれば教えてください!
曽根ちゃん
僕が入社した2012年は300人くらいの同期がいて、そのうち200人はエンジニアとしての採用でした。
入社してからすぐに、技術的なことやガバナンスについてなど様々な研修を受けるのですが、
今思うとすごいなって思います。(笑)
小川さん
ベンチャーは教えてくれないもんね!
考えて動け!が基本だから。
曽根ちゃん
そうなんです。
今でも覚えているのが、ガバナンスの研修での一コマで。
「君たちは、世の中に対して大きな影響を与えるサービスを運営しているヤフーの社員だ!」
「記者の方からの質問に何気なく返答したことが大事につながる可能性もある!」
「そうならないためにも、不用意に答えず必ず広報を通してくださいと伝えよ!」
なるほどなぁと思った記憶があります。(笑)
たとえ新人であろうが、「ヤフー社員が○○と発言!」と書かれる可能性がありますから。
-(笑)
曽根ちゃん
いい意味でセキュリティとかガバナンスへの意識がものすごいある会社でしたね。
厳格なルールや考え方をちゃんと教育してもらったので、
ビジネスマンとしての基礎が醸成されたような感覚を持っています。
小川さん
セキュリティは厳しかったね。
日本一IDを持っている会社だからね。
曽根ちゃん
そうですよね。
『○○な経験が一番大きい!』
-これは大きな経験だった!というものがあれば教えてください!
小川さん
規模がとんでもなく大きいサービスに関われた経験ですかね。
規模が大きいとぶちあたる壁や課題が大きい。結果、困難が多い。(笑)
修羅場の規模が大きい感じですね。
まとめる人の数も多い。
この経験が自分の中で一番大きいかなと思います。
その次が、モノづくりやシステムづくりだけではなく、
事業づくりについていろいろと経験できたことですね。
僕は新卒でNECに入社してSIの立場で仕事をしていた。
SIだと顧客の言われた通りにシステムを作ることが求められるので、全然違うフィールドでした。
ヤフーという事業会社でモノづくりをして、
言われた通りに作ることが全て正解ではないんだなということを教えていただきました。
本質を突き詰める感覚みたいなものを身に付けられたように思います。
曽根ちゃん
先ほども伝えた通り、基礎ができたことが一番大きいです。
また、隣にデザイナーがいてクリエイティブの話ができたり、他職種のメンバーと仕事で関わる機会も豊富にあるので、考え方や仕事の進め方、視点なども自然と吸収できる。
この関わりの広さが一番大きいと思います。
あとは修羅場を経験できたことですかね。(笑)
小川さん
修羅場エピソードいいね!
『あの時は辛かった…修羅場エピソード』
-修羅場のエピソードお聞きしたいです。
小川さん
やはり納期系でしょうね。
ヤフーのEC革命において最も大規模で、
それが失敗したらすべてのスケジュールが遅延するというプロジェクトのPMを担当していたときが最も思い出深い。
つまり、大規模で不確実性も劇的に高いのに、
絶対に納期を外してはいけない、という経験です(笑)。
孫さんがもう、半年後に革命やります!って、宣言しちゃってるので。
リリースまで残り2週間となった時に、旧システムのデータに新システムへ移行不可能な状態が、
結構な量で残っていることが発覚した。マジかよと。
で、経営会議で、
「こういう状態になっているので営業さんはクライアントに謝ってきてください!じゃないと納期通りのリリースは無理っす!」って言ったんです。
「仕方ないね!」って言ってもらえると思いこんでました。
そしたら、「お前はバカか!これまで営業が積み重ねてきた信頼をなんだと思ってるんだ!」と、小澤さんに説教を喰らいまして。
「ああ、その通りだなー」と思い直し、プロジェクトメンバーにお願いし、
移行不可能なデータ50000件くらいを目で見て手で修正しました。
7日間ほぼ家に帰らず、ひたすらデータ修正をやりしましたね!無理っす!って思ってましたけど、やれました(笑)
曽根ちゃん
僕もあります、納期系。(笑)
USJのプロジェクトだったのですが、様々な事情で開発スタートが遅れました。
リリースを遅らせても良かったんですが、巻き返せる自信もあったのでやり抜きました。意地ですね(笑)
少しのロスもできなかったので、工数見積りやスケジュール管理はしっかりやりましたし、
先輩や業務委託さんも巻き込んでリソース確保をしたりもしました。
僕も小川さんと一緒で、この時の2ヶ月間はずっとコーディングしてました。
小川さん
切羽詰まると、人間なんとかできるって学ばせてもらいましたね。(笑)
曽根ちゃん
わかります。(笑)